自己誇示と犯罪
時々見返したくなる番組がある。
1993年、フジテレビで放映された謎解き番組「Trap TV」。毎話語られる殺人事件の真相を解明すると共に、ストーリーに隠されたパズルから更なる真実を突き止めるミステリードラマだ。このドラマ、本当に凄いなと思う部分があるので、メモついでに記しておきたい。
“ナビゲーター”である吹越満が以下の台詞を言う場面がある。アイデンティティがテーマの殺人事件について語るシーン。
自分を誇示したいという欲求は誰にでもある。自分が優れていると思う人間なら誰でもね。
メッッッッッッチャ分かる。
自分にもよく当てはまるなと思うことだ。
「自分が優れている」と言いたいわけではないが、少なからずそういう瞬間はある。
この道理は納得できるし、すごく普遍的なところを突いているなと思うのだけど、このドラマではそこだけが要点なのではない。殺人という手段を取ってアイデンティティを示したことが物語一番の謎だった。
自己提示のための殺人。倫理を逸脱してまでアイデンティティを誇示しようとする人間の恐ろしさ。「自分が優れていると思っている人間は自分を誇示したがる」というのは理解できる。でも何故自己の存在証明の方法が殺人でなければいけないのか?この問いについての回答は番組内で語られるのだが、それを聞いてああ、なるほどなと思った。
「殺人だからこそ、人は真剣に考える。」
人が殺されているという異常事態は人間が一番焦り、恐怖し、真相を探ろうとすること。
理由の分からない死が身近にある状況は不安を招くだけだ。誰によって殺されたのか、いかにして殺されたのか、自分の中で納得いく形に収束させられなければ恐怖からは逃れられない。もしかしたら自分のすぐ近くに殺人鬼がいるかもしれない。だから事の真実を突き止めるために人は必死になる。必死になればなるほど、それは犯人の存在証明に繋がっていく。真相を探る時、犯人に辿り着く緒が、つまり犯人のアイデンティティが幾度となく浮かび上がってくる。
殺人だからこそ、人は仕掛けられた謎を解こうと懸命になるんだ。懸命に考えてくれればくれるほど、仕掛けた側の優越感は高揚していくんだよ。
自分を見てほしいから犯罪に走る。サスペンスものなら割とありがちの設定なのかもしれないけど、Trap TVはその人間心理をうまく分析して視聴者に語りかけてくるところが凄い。単に謎解き番組として終わっているんじゃなくて、それ以上の領域において完成された作品だと思う。
殺人をゲームとして楽しむキャラクターなんか最近ではよく見るものだが、この最終回の犯人には簡単に形容できないような、底知れぬ恐ろしさがあるのだ。
全人類Trap TVを見てほしい…。なんなら最終回だけでもいい。
最終回は吹越満の演技といい番組構成といい全てが素晴らしく、最後を飾るのにふさわしいエピソードなのだが、うまく説明できないのでちゃんと考えがまとまったらまた書き直したい。
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