本
課題をやろうと意気込んで机に向かったはいいが、机はおろか部屋中に物が散乱していてあまりにも汚かったので渋々掃除をした。そうして気づいたのだが、自分は全然本を持っていない。
小説はほとんど安部公房の著作だ。中学ぐらいまでは山田涼介とか、ちょっとした猟奇描写が売りの作品ばかり読んでいたが、サカナクションの山口一郎がラジオで『カンガルーノート』について話していたのを中3のときに聞いて以来、安部公房とSFしか読まなくなった。だからもう大体棚に並ぶのは新潮とハヤカワである。たまに光文社の古典名作も読む。ゴーゴリの『鼻』はくだらなくて本当に好きだった。
安部公房狂人になってからは、普通のミステリとかホラーは逆に読めなくなった。かといって純文学も読めない。『人間失格』は何回も読破しようと挑戦するけど、葉蔵の道化が同級生にバレる所あたりで毎回折れる。序盤もいいとこだ。
多分、適度に現実味があるのに意味がわからない作品が好きなのだと思う。名刺が自分の代わりに働いてるとか、鼻が自立して勝手に馬車に乗ってるとか。シュールだか不条理だがなんだかわからないが多分そういうもの。
本棚を見た時何が一番悲しいって、読書が本分みたいな学科に所属しているのに学術書がちょっとしかなかったことだ。入門書が数冊、哲学史が1冊、原典の翻訳がちょいちょい。図書館で本を借りて読むこともあまりないし、そりゃ大した知識もなく上っ面でしか語れないわな、と思った。
自身の稚拙さが本棚に出ていてちょっとショックな1日だった。読書量イコール人の価値ではないけども、知識が多くて損することはあまりない。
音楽も映画も漫画も同じのばっかり、小説だって『第四間氷期』だけ何度も何度も読んでいる。だからプレイリストも本棚も変わらぬ姿のまま何年も過ぎていく。自分の視野を広げたいと思っているのなら、いつまでも1つのものに固執していないで他のものにも目を向けるべきだと痛感した。
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